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2008年11月29日 (土)

人を大事にしないことの悪

最近、久しぶりに”内定取り消し”という言葉を聞いた。

年がばれるが、拙者の世代では、就職する前年(93年)にこれが起こり、拙者たちが就職する年はナーバスになった企業が一斉に採用を大幅に減らしてきた。氷河期の始まりだったといってよい。

その後、最初の会社を辞めて、大学院に入りなおし、再び就職をする98年にも内定取り消しということがあったと思う。

こんなことされた学生からしたら、本当にたまったものではないだろう。

しかし、最近の企業を取り巻く環境においては、企業活動のエンジンとも言うべき、「人間」を本当に大事にしていないと思う。経営者は何でも効率主義に走り、即戦力は育てずに外部調達、コアでないと決め付けた部分は派遣社員と、企業そのものの空洞化が顕著である。

拙者の会社などは、まさにそういった企業の空洞化のデパートみたいなものである。

具体的にはどんな感じか少し考察してみよう。

①当初は後発であったためライバルへの急激なキャッチアップのために、主たる経営資源のほとんどに外部の人材を導入し、それに依存していた。

②当該事業分野にろくなノウハウがなかったため、採用側もホンモノとハッタリで応募してきている人材の目利きが出来ず、ババつかみのような人材も間違って多数採用してしまった。

③その後の経営者の無責任ぶりにまともな人材はそっぽを向いて出て行ってしまった。拙者の業界では担当者個人に顧客がついているケースもあるため、それが一気に散逸してしまうことと、経験がモノを言うため高度なノウハウも個人に依存しており、その蓄積や後進の指導も図れないままになってしまった。

④そうして抜けた人材の穴埋めと、バブル期以前の入社組のポスト&受け皿確保のために(異業種である)親会社から大量の”素人”が送り込まれ、行動様式の違いから次第に外部から来た人材との摩擦も生じるようになった。

⑤給与体系などの人事体系を複数も並列して走らせたため、立場の違う評価者と被評価者との間で人事考課の考え方、制度の歪みに起因した現場の人間同士のわだかまりが拡散、増長された。

その結果、職場の人間関係は極めて悪化し、もう収拾が付かないところまで来てしまっている。

お互いの言い分というのはいろいろあるわけだが、煎じ詰めるとこんなことではないかと拙者は分析している。

まず人間というものは、今の自分の待遇がいいか悪いかでなく、とかく自分の隣に座っている人や近い年次と比べて自分の給料が高いか、安いかといった相対論になりがちである。また、その人間の能力、業務内容にはそう差がなかったりするとますます厄介なことになる。拙者もそうした疑心暗鬼の同僚から、「あいつは結構もらっているらしい」などと陰口というか、やっかみ半分の嫌がらせを受けたのも一度や二度ではない。

結局、単に個人をベースに複雑に一物一価のようなあまりにも細分化した給与体系を走らせてしまうと、その経緯を知らない上司が異動とかで来たときにハンドリングが難しく、妙なところで不公平感を生んだりしてしまうため、基本的にはあまりそういうことはすべきではないというのが拙者の感想である。

しかしながら、極めて収益力のある事業であれば、それに見合った処遇体系を構築すべきである。つまり、会社全体では職種に関係なく無理して同じ給与テーブルを適用しなくてもいい(というかすべきではない)が、事業部ごとの収益力の差で、それが高いところにはそれに見合ったペイをしないと、そこの社員はついてこないということになるのである。

実はかつての古巣は、今にして思えばそういう給与体系になっていた。拙者の業界では伝統的に最も偉いのがフロント部門の営業で、ついでミドルオフィス、バックオフィスとなっていた。当然、所属する職系によって基本給与やボーナスなどの傾きが異なる1次関数になっていた。

それで不満があったかというと、意外にそうでもなかった。人によって営業に向く人もいれば、管理部門向きの人もいる。給料を稼ぎたかったら営業部門に行けばいいわけだが、その代わり仕事はプレッシャーも強烈で結構厳しい事を覚悟しなくてはならない。まさに、ハイリスクハイリターンなのである。

となると、そこまではいいやという人も出てくるので、結果的に方向性としては適材適所に近くなり、今の会社と比べたらモチベーション低下などの問題もあまり起きなかったように思う。

話が段々それてきた気がするが、そうした人事問題への経営者の対応能力が低下しているばかりでなく、人をないがしろにした解雇やそういうことへの重大さを認識する経営者が少なくなっていることが問題だと思う。

最近、拙者の会社でもリストラをして、数百人の仲間が会社を去ったが、また追加リストラをするのではという噂がまことしやかにささやかれている。もうこれ以上切ったら、会社が成り立たないではないか、と思うのだが。。。

また、そういう噂が流れると、自分は大丈夫だと思うだけの自信がある人間でも、非常に感じが悪く、心中穏やかではないのは事実である。どんなに自分は流されないぞと思っても、そんな中でモチベーションを維持するのは本当に大変である。こんなことでストレスを感じるのは、本当に無意味でバカバカしいことである。

とにかく、臭いものには蓋みたいな感覚で、平気で人を切ったりする、そういう倫理観を持たない経営者が多すぎる。それは例えて言うなら、グチャグチャにモノが散乱している机の上を手で払って周りに散らかしただけなのに、片付けました自分の机の上はきれいですと言っているようなものである。大勢いる社員を食わしていくために前向きにやろうなどという経営者は本当に少ない。

組織(ハコ)を守るために人を切ったりして経費を抑えたはいいが、会社の収益を生む活動をするのもこれまた人である。ハコだけが残ったところで、それは単なる稼げないハコでしかなく、それって本末転倒ではないか?

今の時代、社長の器というのは、安定雇用を維持できる、それだけでも”金”のような気がするのは拙者だけだろうか?

こんな現状に、実は最近大いに憂い、失望し、苦悩することが多かった拙者なのだが、ある経営者のこんな言葉に救われた思いがした。

「良くない経営者とか、何も分かっていない中間管理職の下で仕事をするのも修行のうちなので、それはそれでよいと思います。逆に、これをやり過ぎると人間腐ってしまいますが、おかしな上司の下という環境で経験したことが、後になって役に立つこともあります。(中略)日ごろそのような嫌な思いをしているのは、個人にとってはすごく勉強になっているということは忘れないでいただきたい。「成れの果て」の上司にも、単に「下らない人だ」と思うと進歩がないので、間違ったことを言う上司には「なぜ」と問い質してください。それを繰り返すことによって、みなさんが権力者になったときに生かせる教訓が得られるのです」

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