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2009年2月25日 (水)

インボーだあ!

唐突ですが、これは中学時代の同級生の口癖であった。

ちなみに、彼はクラス一の秀才。しかし、バカと天才紙一重の言葉どおり、彼の奇行がクラスの皆からからかわれる原因になっていた。

そして、からかわれると必ず口にしたのがこの言葉だったのだ。

ところで何の話かって?これからの話は例の”ロレツ”が回っていなかった中川前大臣の話である。あの事件を見ていて、なぜか思い出したのがこの拙者の同級生の口癖である。

それにしても思うのは、ちゃんと財務官僚の付き人がついていたにもかかわらず、あの失態。なぜ、こんな状態の大臣を記者会見の場に出したのか?

これはインボーとしか思えない。故意にやらねば、あそこまではならないだろう。普通は記者会見はそれこそ体調不良だのいろいろと理由をつけて延期するだろう。

(後で知ったのだが、同行した局長は中川氏の麻布の同級生だかでマブダチらしいが、それだけに意味不明)

この後、急速に円安が進んだのだが、穿った見方かもしれないが、まさにあの映像を世界に配信したのは、これは究極の為替介入ではと思った。拙者の考えすぎだろうか?

今の株式相場を考えれば、この円安は随分助けになっている。

もしこんなことを本気で考えて財務官僚が謀ったのだとしたら、日本のインテリジェンスも”なかなかやるでないか~い!”という感じである。

これが本当に中川大臣を更迭するための財務官僚の仕掛けた罠だったとしたら、もう他の大臣も外遊の際はハメを外すなんて出来なくなるだろう。いやはや、批判もなんのそのやはり官僚恐るべしというのを世間に見せ付けたのではないか?

それにしても、かねてより酒癖の悪さが知られていた中川氏のこと、彼だったからやられたのかもしれないが・・・。おまけに読●新聞の美人で巨●の記者とやらだけ優遇して二人っきりになっていたとかゴシップ雑誌やらタブロイド誌に書かれる始末。もう終わっています。

しかし、これで中川氏はヘタをすると選挙も落ちてしまうかもしれない。政治生命の危機だろう。

最近出版された佐藤優氏の「交渉術」という本を読んだ後だっただけに、ついそんなことを考えてしまったのだった。

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2009年2月14日 (土)

タダノさん

先日、別の部署の人からM&Aの売り案件の打診を受けた。買い手を見つけて欲しいというのである。

早速ミーティングを持ち、その概要について教えてもらうことになった。

我々は会社名を伏せて、案件名をコード名で呼ぶことが多い。今回は資料の表題にはコードネーム「アイスクリーム」(ここでは仮名)となっていた。

おもむろに持ち込んできた担当者が、実はこういう会社なんだけどと、どの会社か分かるページを開いて拙者に見せた。

まず、拙者の目に飛び込んできたのは、会社名より、社長名であった。驚いた。

「あっ、この会社は・・・。私知っていますよ。私が上場アドバイザーをやっていて断念した銘柄ですから・・・。」

「ははん、こういうことになった訳か・・・。」

と様々な思いがよぎった。

ある投資ファンドが株のほとんどを持っていて、exitを模索していた案件だった。しかし、この金融危機やら相場の崩壊、買い手企業の財布の紐が締まる中で、それを見つけるのは困難な状況だった。

「それなら話が早い!まさか、そんな関係浅からぬ人がいたとは思わなかったよ!」

とその担当者は急に頬が緩んだ。

「こんな銘柄を担当しているんですか(笑)。きっついすね、はっきり言って。」と拙者。

「社長からも、君頼んだよと言われてはり付けられちゃってさ。社長に会うたびに、あれどうなったって言われるんだよね。」「しかもさ、そこのファンドの保有銘柄、他のもよろしくって言われているんだ。」と担当者。

51e2bxgnxakl 「まるで、特命係長ですね(笑)。」

見ると残りの銘柄も売れ残ってシコッた案件ばかりである。ほうっておいたら、死んじゃうかもしれない。触るのやめとこ、と思ったのは言うまでもない。

しかし、冗談はそこそこに拙者は無情にもこう答える。

「これをexitさせるのは、はっきり言って無理だと思います。潰れたりはしないでしょうが、買い手にとっては正直決定的な魅力に欠けますから。。。そもそも(成長)ストーリ-が描けないでしょ。etc」

「詳しいね、君」と担当者。

「当たり前です。担当者として徹底的に調べて、内情含めて知っていますから。」

「たとえば、事業部ごとにバラして売却は出来ませんか?」と拙者。

「一体での売却を考えている。」と担当者。

「バラせば個別に買い手は見つかるでしょうが、一体だと事業領域が事業部ごとに異なるので、買った側が自分の事業と関係ないものまで抱え込むことになるのでシナジーが出ない可能性が高いですから、買い手にとっても買うためのロジックを構築しにくいと思います。オーナー系企業のオーナに刺しに行って運良く刺されば、といった感じではないでしょうか?買い手候補になりそうな同業とか関連のプレーヤーを思いつく限り考えてみても、まあ期待薄ですよね。」

とにかく、担当者からはこの会社に声をかけてみて欲しいというので、拙者はその会社のトップマネジメントに打診をしてみた。まあ、ほとんどダメ元だったわけだが、やはり予想通りの結果に終わった。

仕方なく、その担当者には「やっぱり、ダメでしたね・・・。」と伝える。

それからしばらくして、外交でたまたまあるホテルのレストランでランチを取ったときのこと。会計を済ませると、割引券を何枚かくれた。その中に、「アイスクリームサービス券」なるものが入っていた。

それを見た拙者は、ふと先日のコードネーム”アイスクリーム”の例の担当者を思い出す。

オフィスに戻ると、アシスタントにその担当者にこれを持って行ってと渡す。付箋には「Good Luck」と書き添えて。

「アイスクリームサービス券ですか?」と怪訝な彼女。

「うん、彼は”アイスクリーム”が大好きだからさ(笑)。」

しばらくしたら、例の担当者から電話がかかってきた。大笑いである。

「ひさびさに、こういうギャグをかまされたよ。」

しばらくして、彼の部署で異動があった。何となく気になって、彼の異動先をイントラで確認すると・・・。

「あっ!」と思って、目に飛び込んできたのが、肩書きである。

51e2bxgnxakl_2 「部門付 特命担当」

とカッコ書きになっていたのである。

フツー、名簿にカッコ書きで入れるかよ、そんなの(笑)。どう見たって怪しいじゃねえか(笑)。

笑っちゃいけないが、拙者はマジで笑ってしまった。だって、冗談のつもりで「特命係長みたいですね」って言ったのが本当になっていたからだ。

笑うところではないことは十分分かっていたが、しばらくおかしくて、仕事にならなかった。

Tokumei これで彼は名実ともに例の社長特命のシコッた銘柄を全部押し付けられてしまったのだろう(写真はイメージ)。サラリーマンとは実に残酷なものである。

以後、拙者の部下も彼のことを隠語で「特命係長」とか、「タダノさん」とかコードネームで呼ぶようになったのは言うまでもない。

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2009年2月 8日 (日)

幼稚園の先輩

昨日、中学以来の友人から彼が勤める会社のことで相談を受けた。経営状態が思わしくなく心配なので、財務状況についてあるだけの資料を基にコメントをしてくれないかということだった。

中学以来、連絡が途絶えたことのないその友人は、まさに親友というべき存在。そのぐらい自分のできることであれば力になってやろうということで、前日までに資料を事前にもらって深夜にそれを検討してみた。

財務的にはシンプルな構造だったが、ここ数年売上がジリ貧で、それゆえに経費も賄えない状況が続いており、このままだと倒れるのは明白だった。

それに、そんな状況が続いているにもかかわらず、会計士ではないので細かいことは分からないが、財務諸表が何となく妙で、ひょっとしたら粉飾さえやっていそうな感じだった。

その晩は、とにかく単に「お前の会社はダメだ」というのでは建設的でないということで、ない知恵を絞って、一応の解決策まできちんと提示すべく、いくつかの事例を踏まえて説明できるよう、準備した。労働組合だからといって、自分たちの目先の要求ばかりでなく、この局面においては経営陣と一緒に会社を立て直すということが必要だということを言いたかったのだ。

果たして当日、彼は労働組合の幹部の先輩と一緒に待ち合わせ場所に現れた。

ひとしきり説明した後、彼らは頭の整理が出来たようで、一応満足してもらえたようだった。本日の主旨をとりあえず終えて、その先輩という人と世間話になった。

そうしたら、偶然にも同じある東京郊外の私鉄沿線の街で同じ時期に育ったことが分かった。住所は、幼稚園は、と聞いていったら偶然にも近所でしかも幼稚園は一緒だった。1年違いで重なっていなかったが、もちろん同じ地区なので小学校も一緒で、当時の話で突如盛り上がり、話は全く違った展開になった。

拙者の育った街は、典型的な郊外の新興住宅地で、ホワイトカラーの比較的若い層の家族が多く住んだ街だった。その頃は高度成長期の真っ只中、大抵は一流企業に勤める30代の働き盛りの親と、今にして思えば心穏やかで幸せな暮らしだったなあということになった。

その先輩の住んでいたところは、当時時代の最先端をいく高級マンションで、そこに住んでいるということはある種のステータスであったのだが、お父様は国際線の機長だったとのことであった。なるほど、やっぱりな・・・。

一方、拙者の父親は、さえないメーカーの勤務であったが、周囲には一流企業の社宅が多く、そこの子弟が拙者の同級生であり、先輩後輩だったのだ。

親の学歴水準も高く、全体的に生活水準、教育、諸々がレベルの高い地域で、まだ地域の結束やコミュニティーもしっかりしていて、今では考えられないほど、いろいろな意味で豊かな生活をしていたと思う。

いろいろと話しているうちに、そういった幼少期の記憶がどっと甦ってきて、ある種のノスタルジーに浸ったものだった。

当時は、雇用不安とは全く無縁の世の中、お父さんたちもバリバリ働いていて、本当に勢いがあった。

そんな時代を知る人間が、今は自分の雇用の不安を抱えている。本当にいつからこんなことになってしまったのかと悲しい気分になった。

しかし、こういった状況を乗り越えて、新たな世の中を切り開いていくしかないのである。

また困ったことや、相談があったら、同郷の誼で遠慮なく言って下さいと言って、その日は親友と先輩とは別れたのだった。

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