幼稚園の先輩
昨日、中学以来の友人から彼が勤める会社のことで相談を受けた。経営状態が思わしくなく心配なので、財務状況についてあるだけの資料を基にコメントをしてくれないかということだった。
中学以来、連絡が途絶えたことのないその友人は、まさに親友というべき存在。そのぐらい自分のできることであれば力になってやろうということで、前日までに資料を事前にもらって深夜にそれを検討してみた。
財務的にはシンプルな構造だったが、ここ数年売上がジリ貧で、それゆえに経費も賄えない状況が続いており、このままだと倒れるのは明白だった。
それに、そんな状況が続いているにもかかわらず、会計士ではないので細かいことは分からないが、財務諸表が何となく妙で、ひょっとしたら粉飾さえやっていそうな感じだった。
その晩は、とにかく単に「お前の会社はダメだ」というのでは建設的でないということで、ない知恵を絞って、一応の解決策まできちんと提示すべく、いくつかの事例を踏まえて説明できるよう、準備した。労働組合だからといって、自分たちの目先の要求ばかりでなく、この局面においては経営陣と一緒に会社を立て直すということが必要だということを言いたかったのだ。
果たして当日、彼は労働組合の幹部の先輩と一緒に待ち合わせ場所に現れた。
ひとしきり説明した後、彼らは頭の整理が出来たようで、一応満足してもらえたようだった。本日の主旨をとりあえず終えて、その先輩という人と世間話になった。
そうしたら、偶然にも同じある東京郊外の私鉄沿線の街で同じ時期に育ったことが分かった。住所は、幼稚園は、と聞いていったら偶然にも近所でしかも幼稚園は一緒だった。1年違いで重なっていなかったが、もちろん同じ地区なので小学校も一緒で、当時の話で突如盛り上がり、話は全く違った展開になった。
拙者の育った街は、典型的な郊外の新興住宅地で、ホワイトカラーの比較的若い層の家族が多く住んだ街だった。その頃は高度成長期の真っ只中、大抵は一流企業に勤める30代の働き盛りの親と、今にして思えば心穏やかで幸せな暮らしだったなあということになった。
その先輩の住んでいたところは、当時時代の最先端をいく高級マンションで、そこに住んでいるということはある種のステータスであったのだが、お父様は国際線の機長だったとのことであった。なるほど、やっぱりな・・・。
一方、拙者の父親は、さえないメーカーの勤務であったが、周囲には一流企業の社宅が多く、そこの子弟が拙者の同級生であり、先輩後輩だったのだ。
親の学歴水準も高く、全体的に生活水準、教育、諸々がレベルの高い地域で、まだ地域の結束やコミュニティーもしっかりしていて、今では考えられないほど、いろいろな意味で豊かな生活をしていたと思う。
いろいろと話しているうちに、そういった幼少期の記憶がどっと甦ってきて、ある種のノスタルジーに浸ったものだった。
当時は、雇用不安とは全く無縁の世の中、お父さんたちもバリバリ働いていて、本当に勢いがあった。
そんな時代を知る人間が、今は自分の雇用の不安を抱えている。本当にいつからこんなことになってしまったのかと悲しい気分になった。
しかし、こういった状況を乗り越えて、新たな世の中を切り開いていくしかないのである。
また困ったことや、相談があったら、同郷の誼で遠慮なく言って下さいと言って、その日は親友と先輩とは別れたのだった。
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コメント
そういうノスタルジーな感覚いいよねえ。
当時よりも改善されていることは枚挙にいたまがないはずなのに、その点がクローズアップできないのはなぜだろう。
今の子どもが大人になったとき「あの頃は良かった」といえるんかな。
投稿: tyounatogi | 2009年2月 9日 (月) 21時19分