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2009年4月26日 (日)

現代の蔭位の制

最近、法制史の勉強の必要から日本史(中古まで)をもう一度おさらいした。

子どもの頃から日本史マニアを標榜していた拙者は、山川出版社の日本史用語集なども暗記したと豪語するほどだったのだが、改めて勉強しなおすと実に懐かしい日本史用語の数々に「こんなのあったなあ」などといちいち感心していた次第である。

そんな中、目に付いたのが「蔭位の制」というやつである。これで思い出したのだが、最近規制が論議されている国会議員のいわば世襲問題である。

世襲を規制しようという動きが一部あるわけだが、今の国会議員のほとんどがそういった世襲(二世など)かそれに準ずる人たちである。

もちろん、そういった議員の抵抗を待つまでもなく、憲法の職業選択の自由にも抵触するから、そんな法律出来るわけもないのだが、心情的には非常に分かる内容だ。

家で勉強をしていたら、ちょうど夕方のニュース番組でこのことをやっていた。国会議員の力の源泉は「地盤 看板 カバン(カネ)」だと、中学生でも分かるような話をしていた。

しかも、インタビューをしたところで、国会議員は世襲反対に決まっている。当選したのは自分の実力だといわんばかりの人もいる。

だったらこうしてはどうだろう。もちろん、親とか親族が議員で後を継ぎたいのであれば選挙に出ればいい。ただし、親や親族が出た選挙区から出馬することは規制する。これでどうだ。

本当に実力があるなり、自分の政治理念が民に受け入れられるというのなら、何も親の地盤でなくても当選出来るはずである。是非、世襲や二世議員といわれるのが嫌だったら、落下傘で関係のないところに降りて、そこから出馬してもらいたい。

要するに、「地盤 看板 カバン」なしのガチンコバトルを勝ち抜いて来い!と言いたいのだ。それなら文句はない。

そうでなかったら、やっぱり所詮はひ弱なお坊ちゃま、お嬢ちゃまだったね、ということで。

この国の行く末を担う人間たるもの、そういう骨太の人材を一国民として要求したい。

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2009年4月23日 (木)

バイタリティのなさに辟易

それにしても、この閉塞感、どうにかして欲しいものだ。

拙者の同業他社も全く案件がないらしく、開店休業状態だという。自分だけが一人負けでないようなので、まあよかった。

しかし、この暇なタイミングを縫って絶妙なタイミングで勉強が出来て、本当にラッキーだなと思う。

しかし最近の若者(何ていうとオヤジ臭いが)、本当にバイタリティのなさが目に付く。これは前日のジンジ面接でも感じたところだが、この国結構やばいんじゃないかなと思う。

草食とか言っているが、全くとんでもない話で、拙者が肉食獣過ぎるのかもしれないが、あまりに見ていられなくて目を覆いたくなる状況である。

もちろん若者だけの問題ではない。これだけ日本に閉塞感が漂っているのは、リスクを取って命がけで物事に挑む気概や、勇気、度胸が日本人の多くにないからだ。

とにかく目的がないからやる気も出ない、何となく生活出来ちゃうから無理して高望みもしない。もうそういうのが蔓延してしまっているのだ。

拙者の職場もそうだ。全てが受身で、はっきり言ってどうしようもない連中しか残っていない。これではいい仕事は出来ない。

もう少し欲張りな人間がいてもいいのだが、これが全然いないのである。

拙者もそういう連中の中で、ややもすると押し流されそうになるが、強制的にやることを作ってそれに没頭することでかろうじてそうならないでいる。

こんな国で子どもは教育したくないと思う。仮に”いい大学”を出たところで、所詮国力の衰えた国の企業に就職しても何もいいことないからだ。おまけにその優秀とされる大学の学生の実力も、昔に比べれば完璧に去勢されていてまあ大したことないのが実態である。少なくとも拙者たちの頃以下であることは間違いない。

そう考えると、やれお受験だとかって騒いでいる親たちの目指しているものがフィクションに思えてくる。

ガキをエスカレーターで楽させようなんて思うなっての。誤解を恐れずに言えば、多くの場合、弛緩しきったクズが量産されるだけである。結局楽なことをいいことに安きに流されてサボってしまって自分の力で知識も獲得しなければ、全てが受身でやりたいことも見つけられず、何も考えないまま社会に送り出されてしまう。

こんな時代だからこそ、谷底に突き落としてそこから這い上がる根性を身に付けさせるべきなのだ。

次世代を担う子どもたちには、いかに生きるか、目標を高く掲げてがんばることの素晴らしさを教え、心底理解させなければ、この国には未来はないなということを痛切に感じるのである。

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2009年4月15日 (水)

図書館&資料探し

最近は、やはり学校の勉学等にエネルギーが取られて、このブログもなかなか書けないでいる。まあ、あまりネタもなかったのも事実だが・・・。

というわけで、働きながら学問をということで、いつもキャンパスに行ける訳ではない。おまけにこれ以上金もないから、本も極力図書館で借りる対応を余儀なくされる。

そこで最近やっているのが図書館探しである。職場から近く、ちょっと行って帰ってこれるのが理想だが、そうなると自ずと限られてくる。

ここ数日で、港区と千代田区の図書館に行った。貸し出しカードも作ったのもいうまでもない。

が、やはりというか専門課程のレベルの専門書が少なく、せいぜい法制史というほとんど歴史の授業という超マイナーな科目にかろうじて対応するぐらいの資料しかかき集められなかった。

これはキャンパスに行ったときに必ず寄って利用するか、もっと会社に近い別の大学の図書館を利用するしかないかと思った。

拙者の住んでいる沿線には、あの日本の最高学府があるので、そこの図書館に行けばいいかと思ったが、他大学の学生は紹介状がいるうえ、土日は使えないときて、それじゃあ意味ないとがっかりさせられた。

勉強できる時間は非常に制約されるが、モチベーションは高いうえ、大学院時代の様々な学習ノウハウが活かせて、同じ学部生でも20年近く前の大学生のときとは全く大違いである。

法制史のような、いかにも眠そうで誰も見向きもしない超マイナーな科目さえ、教養として面白いと思ってしまうのだから困ったものである。テキストは約2日でざっとではあるが読破。いずれ提出するであろうレポートに備え、様々な構想が浮かび上がる。

だが、それにしてもその構想を充足する参考文献がないのなんのってこれには参った。笑えるのが教授が勧める参考書は既に絶版。いかにこの分野の研究の後継者がいなく、出版社も採算が合わないかが見て取れる。仕方がないので、アマゾンで古本を探してようやく手に入れた。それ以外はあまり参考にならなそう。

該当分野もウィキペディアで調べたら、それはそれは素晴らしい解説があるのだが、そんなのパクったら一撃でバレるから、それだけはNGだ。これも拙者の大学時代とは様変わりである。情報量が圧倒的に違う。一応、関連の資料はプリントアウトして手元には持っているが、影響を受けないようにあまり見ないようにしている。

独力で完成させるのは、これは”訓練”の一環なのだ。ゆるぎないホンモノの知識を身に付ける、そのためにわざわざ入り直したのだといつも心に言い聞かせている。

仕事のことに加え、そういうことを四六時中考えるのは実に疲れるのだが、少々骨の折れるお題に取り組むことや新しいことを学ぶことはやっぱり楽しいなと思う今日この頃である。

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2009年4月 5日 (日)

逗子・鎌倉裏道散歩

Photo 逗子から鎌倉にかけて徒歩で散策しながら、満開の桜を出会い頭で撮影してみた。ちょっと見にくいが拙者が歩いた大体のエリアを左の地図に示した。

天気というより気候もよく、散策にはちょうどいい1日だった。

また花見の最盛期であり、鎌倉のメジャーなスポットを行けば人だかりだろうということで、そういう場所を避け、裏道をひたすら歩くという散歩にしてみた。実際、ほとんど混雑に当たることはなく、ひさびさにゆっくりとした散策が出来た。

まずは横須賀線の逗子駅に降り立った。逗子は以前横浜に住んでいたときは車でよく来ていたが、いつも通り過ぎるだけで駅に降りたのは久しぶりのことだ。

今回散策を思い立ったのは、よくよくじっくり歩いたことがないこの街を道端で気まぐれに出会った桜を撮りながら行ってみようという全くの思いつきからだ。

大体どこを歩いたかをはっきりとは覚えていないことが多いので、今回は新兵器ソニー製GPS機器を携帯した。このGPSレコーダーを使えば、歩いたコースを記録し、グーグルマップ上にプロットしてくれるという優れものである。

しかも、撮った写真の記録時間とGPSが記録した位置及び時間データをマッチングさせ、地図上にどこを撮影したかを表示することが出来るのだ。これを使うと何が嬉しいかというと、初めての場所でもどこを撮影したかが一目瞭然で、次回以降のお気に入りの撮影ポイントを正確に把握することができるのだ。ちなみに、全世界で使えるため、旅行の記録作りにも大いに役に立つアイテムである。

まずは逗子の駅から海岸に向かって歩く。途中、昔からの住宅街が立ち並ぶ。海岸に出ると、そこはウインドサーフィンのメッカである。ごくたまに桜貝とかが打ち上げられているので、何かきれいな貝でも落ちていないかななどと下を見ながら、披露山公園を目指す。

国道134号をまたぎ、海岸から一転、うっそうとしたちょっとした山道のようなハイキングコースを登っていく。ゆっくり歩いて15分も登れば披露山公園に出る。

ここの桜は、まだ満開には至っていなかった。そこそこ人も来ていて、お花見モードではある。拙者も買ってきたお弁当を広げ、しばし花見を兼ねて休憩を取った。

昼食後、披露山庭園住宅と呼ばれる高級住宅街を抜け、一転漁村の裏路地を抜けて小坪漁港方向へ抜けるルートをとった。

披露山住宅はあのソリマチなんとかとマツシマなんとか夫妻も居を構えるところで、広大な敷地にそれこそ豪邸がそこかしこに建っている。ただ、かなり老朽化が進んでいるものも多く、空き家や空き地になっていたりしているものも一部あった。しかしホンモノの金持ちが住むエリアであることは間違いない。拙者たちのようなサラリーマンにとっては、学校や買い物もかなり不便そうだし、とにかくあまりに不便な場所で、ご隠居向きである。

そこを抜けると、今度は180度世界が変わったような生活感漂いまくりの漁村のウラ路地風景が展開される。このギャップはものすごいものがある。曲がりくねった細い路地の坂を下りながら、漁港方面へ向かう。途中、鎮守様のような小さな神社などがあり、ネコが昼寝していたりとのんびりした風景が続く。

070203_13450001 ひたすら下って行くと、以前このブログでも紹介したゆうき食堂の真ん前に出た。例によって、うまい魚とリーズナブルな定食を求め、行列が出来ていた。

拙者的には、披露山から下って来て、まさかここに出るのかという新鮮な驚きがあった。

今度は、逗子マリーナの脇から鎌倉の材木座方面に海沿いを抜ける。

しばらく歩くと、光明寺というお寺の前に着いた。

ここは、鎌倉駅からやや離れているため、人も比較的少ない。圧巻だったのは、まさに満開の素晴らしい桜だった。

早速、持ってきたキヤノンEOS kissデジタルXで撮りまくる。うす曇だったが、晴れた場合と違い光が柔らかくなるので、桜の撮影には白飛びさせず落着いた感じに撮れるのでかえって好都合だ。

空は白く曇っているのと歩いている花見客を入れないよう、タイミングに留意したり画面の上と下を切るようにして、とにかく主題にフォーカスして撮影するよう心掛けた。

とにかくここの桜は素晴らしく、いい写真がたくさん撮れた。来てよかったなあと思った瞬間である。その写真は、こことは別にやっている写真だけのフォトブログにも近いうちに掲載する予定である。

材木座の裏路地を北上しながら、鎌倉駅を目指す。途中にあるお寺や神社、邸宅の桜や風景を撮影しながら、そぞろ歩きを続ける。花見客もまばらで、有意義な時間を過ごせた。

最後に立ち寄ったのが、鎌倉駅近くの本覚寺である。もう日が傾きかけていたので、撮影には不向きであったが、そこを抜けて駅に出て、今日の散歩を終えた。

今回行った場所は、車で通りかかるのだがその程度で済ませていたような場所を一つ一つ実際に訪ねてみる小さな旅でちょっとした発見があった。

また、時間を見つけてこんな旅をして見たいなと思った次第である。

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2009年4月 2日 (木)

いい経験になりました

前々回に書いた件、人生初で面接をやらせてもらいました。

いやあ、参考になったね。会社の側から見たジンジの裏側ってこうなっているのかと。

全くの偶然でランダムに割り当てられる対象者。相性もあるから、採られる側からすればこれは運以外の何物でもない。

朝っぱらから、11人を面接した。姿勢を正していたせいもあり、こっちまで緊張していたのか、すごい肩が凝って疲れた。1回につき約30分、1対1である。

そのうち半分が、KO大学の経済学部生。他の学部はいないのかよ、と正直思ったが、たまたま拙者には当たらなかった。

次に多かったのが東大法学部の2人。

最初に面接したのは、その東大の学生だった。訥弁で対人折衝にはあまり向かなかったが、考え方が論理的だし、緻密な性格だなという印象が感じられ、フロントには出せないが契約書とかドキュメントなどの担当にはいいのではということで、上へ推薦するようコメントした。

この彼については評価が二分していて、訥弁の時点でアウトという人と、それ以外の見所を主張する人に分かれていた。ジンジ担当もそれを分かっていて、様々な意見を聞こうとしていたようだ。

まあ、一般的なハキハキしていて高感度の学生が常に勝つとは限らないという、自分では予想していなかった評価の付け方に自分でも驚いた。

次に来たのが拙者が本日の最高評価を付けたKOの学生さんだった。まず印象に残っているのが、全身から発散されるポジティブな”気”だ。この時点で、勝ったも同然だ。

これはそのときだけ取り繕ってもバレるものである。普段からそうでないと単なる違和感になる。

ちなみに、拙者の重視したポイントは次の通り。

①なぜ、金融機関に就職を希望するのか?
②なぜ他社でなく弊社なのか?
③具体的に何をやりたいのか?そう思ったきっかけは?強い動機付けがあるか?
④やる気全般とストレス耐性
⑤長い下積みに耐える持久力、忍耐力を持ち合わせているか?そうなっても腐ったり、ケツまくらないか?
⑥胡散臭い印象や狡猾な印象がなく、誠実な人柄か?
⑦ポジティブな性格か?
⑧社風に合うか
⑨説明がロジカルで破綻がないか?

そんなところである。最も重視したのが②と③で、これに納得感があるようロジカルに答えられるかでほとんど判断した。要はどうしてもこの業界で働きたいという熱意が人によって温度差がありすぎるのである。

無意識のつもりで、実は結構意識していたのが⑧であった。こんな奴が職場にいたら嫌だなというのは、優秀でも排除していた。こういうのは何となく醸成される社員間のコンセンサスのようなものがあって、結果的にある種の傾向の人材が集まって、社風というものが形作られるのだなと、拙者もはたと気がつかされた次第である。

一方で、学業成績はさほど重視しなかった。むしろ、成績が普通ないしは悪いぐらいの方がユニークな人が多いような気がした。実際、そんなもの実社会で仕事できるかとは全くと言っていいほど関係ないからだ。

要領が良さそうで、調子がいいのも不採用にした。やっていて思ったのが、他社と二股かけているのは分かるものだな、と。

そういう意味では、訪問している会社の業種や企業名のばらつきとかにも注視、質問を浴びせ反応や言動を確認した。全然関係ない業種でいわゆる学生に人気の企業が入っていたりしたら要注意だ。

いくら就活モードでいても、自分はアタマがいいと思っていたり、プライドが高そうな奴にはそれを鼻にかけた微妙な言動にそれが見え隠れするのもよく分かった。後になってよく見ると、他の面接コメントでも指摘されたりしているから面白い。やっぱり、そういうのは出るんだなと。

あと全体的に見て、KOの学生さんは評価が高い。とにかくバランス感覚が他校の学生とは違うのだ。よくその手の特集記事でも見かけるが、これは校風のようなものなのだろう。多くの場合、勉強もちゃんとやっていて、それでいて社交性も備わっている。印象が俄然いいのである。

今回拙者は3人の学生さんを選んだが、もう一人もKOの学生だった。その人は一風変わっていて、やや地味で老成した印象。論語や陽明学が好きだというから驚いたが、ウケ狙いでなくそういう思想が板についていて、長い下積みにも耐える忍耐強さがあると判断したためだ。この業界、実務はむしろ地味で決して派手な世界ではないのである。学校の成績はよくなかったが、別に学生時代に打ち込んでいることがあって、その分疎かになっていたのだと思ったが、それはそれでいいかなと思ったのだ。

残りの学生さんは、②③の動機付けが不十分、自分のやりたいことをやれなかったら辞めそうだなという理由で、評価のランクを下げた。

それにしても、行きたいという部署が1人を除いて全員同じ、弊社を志願する理由も判で押したように同じ、この業界に入りたい理由もほとんどが同じで、全般にユニークな答えは期待できなかった。何でこうなるのかは不思議だった。

それと、拙者の学生時代は、少なくとも欲張りな拙者は「あれもやりました、これもやりました」と言い切れないくらいいろいろなことをやったものだが、今時の学生さんは案外淡白なのか、割と一つか二つのことに専念していて、それ以外のことはあまりやっていないということに非常に驚かされた。アピールするポイントというか、ネタが少ないのである。

やりすぎてもアピールが拡散するが、悪い見方をすれば経験値に乏しく、視野が狭いということにもなるのである。

ド素人面接官なので、社の公式スタンスにも程遠く、傾向と対策の参考にもならないが、拙者はそうやって一日仕事をこなした次第である。

まあ、そんなところだが、自分にとっても非常に為になった一日であった。

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