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2009年5月31日 (日)

華のK早戦

090531_14510001 今日初めて野球のK早戦の観戦に行って来た。

世間一般には早慶戦だが、KO関係者は慶早戦とよぶ。

http://www.keio.ac.jp/ja/contents/stained_glass/2003/240.html

さらに詳しい沿革を知りたい方は、ウィキペディアで調べてみて欲しい。詳細な説明がある。

昨日はハンカチ王子の登板であることは知っていたのだが、天気がいまいちということもあり、観戦は翌日の今日にしたのだが、裏目に出て今日の天気は最悪だった。

が、来てしまった以上、観ないで帰るわけにも行かない。12:00前に神宮球場へ入り、三塁側のKOの応援席で、両校の応援合戦を観る事とした。K早戦ではKOは常に三塁側と決まっていることを最近知った。

しばらくしたら、早稲田の応援団がKO側スタンドにやってきて、「フレー、フレー、ケイオー!」とやっている。終わると惜しみない拍手が送られる。早稲田の応援団、(KOより)格好よかったなあ。

しかし、長い伝統があるだけあって、さすがによかった。観戦マナーも良く、今日は天気も雨が降ったりやんだりで、傘も開いたり閉じたりを繰り返したのだが、なるべく周りの人に雨露がかからないよう、みんなが傘の開閉に気を遣っていたり、細かいことだが素晴らしいなと思った。

また、ヤジの類は一切なく、自校の応援と相手へのエールという、非常にクリーンな観戦であった。校歌や応援歌などが随時繰り出され、本当に華やかといった感じである。

数あるスポーツ観戦の中でも、場内が一体となるあの盛り上がり、さわやかさ、これは結構ハマるなと思った。多分、秋季リーグ戦もまた行くと思う。

それにしても思ったのは、KOの応援席は早稲田の半分ぐらいしか埋まっていない。しかも早稲田は結構組織的な応援で声もでかい。対するKOは・・・。「おいおい、早稲田の方がすごいじゃん」とKO応援席からは感嘆の声が上がる始末。

しかも、早稲田の付属校の生徒たちだと思うが、白いタオルかなんかで”W"の文字を出してみたり、「まるで北朝鮮のマスゲームみたい」との声が出るほどだった。「KOも三色旗(塾旗のこと)とか作ればいいのにね」とか言っている学生もいた。

それにしても、早稲田の方は一塁側からライトスタンドまでぎっしり人がいる。KOは三塁側に付属学校の生徒たちと思われる一群のあたりは声援が盛り上がっていたが、拙者のいるレフトスタンド学生席は半分ぐらいしか埋まっていないし、ボルテージも上がっていない。

最初は盛り上がりでは負けているなあという感じだったが、試合開始前の塾歌斉唱で1番から3番になるにつれて徐々に声も大きくなり、少しずつKO側の応援も盛り上がってきたのを感じた。

”ああ わが義塾 ケイオー ケイオー ケイオウ♪”

試合が始まって、いい感じに接戦でスタートすると、いっそう盛り上がってきた。特に得点が入ると、歓声と共に観客席は総立ちとなり、例の”若き血”を周囲誰彼構わず肩を組んで歌う。

”陸の王者、ケイオー♪”

そこそこ点が入ったから、”若き血”の出番もあり、K早戦の醍醐味もあったというものだった。

しかし、試合が6回に入ったころ、急に雨足が強くなってきた。屋根のない神宮球場で夕立のような雨はたまったものではない。試合も中断され、KO応援席も一斉に席を立つ人が増え始めた。

拙者もたまらず撤収し、試合観戦を断念して帰ることとした(根性ねえ・・・)。

上の写真は、試合が中断されたときの写真である。

その後まもなくして試合再開となり、結果は、後半のKOの追い上げもむなしく、6-5で早稲田が勝利した。

もちろん、野球は秋にも観に行くし、明治戦などの他校との試合も観て見たいなと思うようになった。冬もラグビーとかも観に行きたいと思っている。

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2009年5月29日 (金)

もどかしいけど押し殺す、これも修行なり

法律を学び始めて、まだ自分の学習スタイルを確立はしていないが、基本的には大先生の学説や判例、まあ文系の場合はそうだろうが、過去の研究成果をベースにレポートや論文をまとめるということが基本であるようだ。

文系の学問の場合、先人の研究成果の積み重ねの上に現在の理論があることは確かな上、しかも学部生ごときにアカデミックな意味でのオリジナル理論など作れるはずがないし、期待もしていないという前提なのである。

なので、ある課題に対し、基本的には他人の言葉(偉い先生の説)を引用しながら、七転八倒しながら様々な学説や判例なども検討し、ちょこっとだけ自分の意見を言うという感じで、やや窮屈だ。引用しすぎると、パクリだといわれるし、自分の意見が前面に出すぎると生意気だということになる。パクリと言われないためには、もちろん出典を明らかにすればいいのだが、この塩梅とやらなかなか難しいものがある。

そうは言っても、通説を疑えなどという先生もいるが、それを疑ったとして論破する理屈も持ち合わせていない。

こうして書いたものとかは、実は成果物に自分の色は全く出していないのと一緒だから、拙者のキャラ的にはすごく息苦しいし、もどかしい。

でも考えてみると、会社も同じことで、自分の意見はあるのだが、自分は身分が低すぎて聞いてもらえないし、わめいたところで組織があまりにデカ過ぎてなかなか動かないのである。

昔は何か気に入らないことがあると後先考えずに散々会社内で大暴れして上司を困らせたものだったが、最近はすっかり枯れて「まあ、言ってもしょうがないか」と諦められる心境に達した。これを拙者的”解脱”の境地と勝手に呼んでいる。

がんばらないのも考えものだけど、別にがんばりすぎる必要はないのである。

拙者も大人になったものだ・・・。それはさておき、

大学院の頃は、理系の要素の強い経済学・経営学の学校だったので、メチャクチャな仮説をブチ立てても、ある程度学問的なフレームワークを踏襲し、データで計量分析を行なって実証すればよしとされていたから、ある意味すごく自由な研究をしていたという感じだった。理科系の発明と似たようなもので、ある日突然学生がちょっとした発見をする余地が残っていたし、それが年齢が若くても博士号に値すると認められる可能性があったのだ。

でも法学部には全くそういうのはなしという感じ。

でも、基本に忠実に言われたことをやってみる、我が強くてそういうことが出来なかった拙者だからこそ、これも一つの修練なのである。

案外年をとって素直になったし、視野が広い分、柔軟にモノを受け入れられるようになったようだ。

とりあえず、優等生的アプローチだが、基本に忠実に学習は進めるつもりである。

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2009年5月22日 (金)

マスクもいい加減シラけてきた

それにしても、インフルエンザ騒動、段々バカバカしくなってきた。

ニュースをつければこの話ばっかり。思ったほど大したことないくせに、過剰反応だと思う。

いまや流行の総本山のNYなどは、全くと言っていいほど話題にもなっていないらしい。過剰反応しているのは日本人ぐらいのようだ。むしろ、向こうでマスクしていると”感染者”だと間違われるらしい。要するにその方がかなり怪しい目で見られるということ。

最初は関西ではやりだして、それでもしばらくこんなにウジャウジャ人がいる東京で感染者が出なかったから、冗談抜きで関西弁しゃべる奴しか感染しないウィルスなのかと思っていた。

拙者の会社では、研修などでたまたま100人ほど社員が集まったときは、全員マスク着用でないと大会議室に入れないなどというマヌケなことにまでなった。ずらりとマスクをつけた人間が集まっている様はなかなかシュールなものがある。是非写真に撮っておきたかったくらい。それだけで十分報道写真になったと思う。

マスクはどこ行っても完売になっている一方、もう会社でもそこいらじゅうにアルコール消毒液が置かれ、マスクを捨てる専用のゴミ箱まで設置された。拙者の自宅にも玄関のところに一応は置いてみた。だが、ムダだったようだ。

週明けからは毎朝検温をして、携帯で入力できる会社の安否確認システムで「熱ありません。出社します。」と入力してから会社に来いということらしい。アホくさ。

37.5度以上あると自宅待機らしいので、仮病の定番わざと体温計こすってサボってやろうかと思ったほどだ。そんな体温、ちょっとした拍子に軽く突破してしまいそうだが。。。

今日あたりは、心なしか電車に乗っていてもマスクを付けている人が減ったような気がする。なーんだ弱毒性じゃないか、普通の風邪と一緒だろという感じになりつつあるような気がした。なんだか、付けている方が神経質な人みたいに思われそうで、ちょっと嫌だったりした。

マスク付けていてだんだんシラけてきたのだが、拙者はこの時期が本来の花粉症だったりするので、この騒動が収まっても付けていた方がいいので、困ったもんである。

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2009年5月16日 (土)

拙者流 最近の本の調達法

最近、地元図書館の活用が本当に増えた。学生やっていると、本が必要なのだが購入したくてもカネがない。なので、必然的にそうなる。

大量に必要な参考文献も、図書館で借りたり、Amazonで中古本を購入したりして賄っている。Amazonだと、1円+送料といったありがたい古本にかなりの頻度で遭遇する。これまではある大手書店のネット販売を使っていたが、新品だけなのでやめた。断然高くつくからである。

その前に、図書館で実際に借りたり、書店で読んだりして自分に合った(読みやすい)本かを見極める。実際にレポートを書いたり、要約をノートしたりする中で、何回か読み込みを行なう中で、噛めば噛むほど味がある名著というのは専門書でも必ずある。同じ分野で大先生たちの著書を読み比べをしてみると、非常に面白い。

そうした中で不朽の名著と思われるものや一家に一冊あってもいいというものは新品でも購入するが、そこにまで至らないなというものは、図書館で借りるか割安な中古本を探す。

中古の本は、本の中身もさることながら、コピー代との兼ね合いで”割安”と判断したら躊躇なく購入することにしている。実際そういう掘り出し物がネットでしばしば見つかる。さながら、株のネット取引のような感じだ。目をつけた本や指定の教科書を登録し、時々時価と出物をチェックする。本の状態、出版年の新しいものか、といったことを確認して、掘り出し物が出たら即発注だ。家だろうが、会社だろうがどこでも出来るのがすごい。

本の選定は、大学のシラバス(講義要項)で大枠を決め、図書館の蔵書検索HPとAmazonのHPをにらめっこしながら、図書館で借りるものはネットから即予約、Amazonは類書等も表示されるので、それを図書館で予約して借りてみたり、実にかつてない情報量で探す手間も最小限で、時間も効率的に使える。

ところで、拙者は自分の所有する本(それも蔵書にしてもいいと思う本)だと読みながら線を引いていってしまうやり方をするのだが、単なる参考文献だとそこまではしないので、読み終わった本は基本的に地元の図書館に”還元”と称して寄付することにしている。今回も無事単位が取得できたものについては、その参考書はそうしようと思っている。そういう本は、図書館にも所蔵されていないから買ったものがほとんどであるので、いずれ拙者と同じ道を歩く人へのプレゼントと思って寄付するのである。何となく気持ちがいいばかりか、家の本棚のスペースにも余裕が出来、一石二鳥である。

とはいえ、例えば1円とか100円プラス送料で調達した我らがコ●セツの古本とかを、”布教活動”と称して、地元図書館に大量に送り込む野心的なプランも実施の予定である。もちろん、何でも置いてくれるわけではないので、図書館の職員が置くと決めてくれないと意味がないが。。。

いずれにしても、ネットで蔵書検索したら、寄付した本がリストにずらりというのが密かな楽しみなのである。

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2009年5月10日 (日)

名物先生

しかし、改めて学生をやっていての醍醐味は、名物先生というのがどこの学校にもいるということである。拙者はそういう先生の講義はその学校に在学したという記念というか、一つのネタとして必ず出るようにしている。

名物先生というのは大抵は、メチャクチャ怖い、厳しいというのがほとんどで、学生たちから恐れられているということが多いようだ。もちろん、成績が甘いとか、講義が面白いというケースもあるだろう。

拙者の学部時代、大学院時代にもこういう先生がいた。学生は畏敬の念を持って、たいていはあだ名がついていたり、通称を付けたりするものである。

KO出身者なら知っていると思うが、コバ●ツとあだ名される名物先生、(朝生(テレビ)でたまに出ていて、憲法分野の教授にしては政治発言が多く、極めてユニーク)がいて、国会議員などにもその門下生がいるが、その人の厳しさと言ったら半端でない。とにかく礼節を重んじる教授法である。

http://www.j-cast.com/2008/11/14030404.html

出欠はもちろん、飲食、講義中の入退室は厳禁。遅刻でもしようものなら、大声で怒鳴りつけられ、即刻退場である。寝ていても注意されるし、講義が終わるなと思って本やノートを片付けようものなら、それも許されない。久しぶりに見た、シーンとなった実に緊張感のある世界、空間である。でも、講義には惹きつけられる。

講義を受ける学生たるものの姿勢として、こういうのは本来当たり前なのだ。

しかし、コ●セツの言っていること(マナー)はもっともなことで、筋が通っているので、なーんも言えねえというのは事実だ。それにしても、これを聞かないのは”モグリ”という噂の伝説の講義を聞けて、よかった。ちなみに、傍から見れば主張は極端だが、拙者の考え方にも近く、拙者的には違和感はなかった。

ひるがえって、帰りの電車の中を見回すと、平気で飲食をしたり、ドア付近に座り込んだり、うるさかったり、いろいろな迷惑行為が散見されるものだが、最近では職場でも学校でもそうだが、どんなにマナーや態度が悪かったりしても、注意も出来ない上司や先生、そして環境がある。

しかし、勇気を振り絞って主張すべきなのだろう。「お前は間違っている!」と。

そういう信念やポリシーをもって、事にあたる、時には人と対峙する。そういう骨のある人がいなくなったものだ。

(最後に関係ないが一言)

拙者たちが大学生だった頃、先生の講義情報はガリ版で印刷された先輩からの情報紙が頼りだった。今時はインターネットでそういう情報が流布しているから、非常に助かる。本当に隔世の感がある。

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2009年5月 5日 (火)

連休はあるけれど

この連休、いかがお過ごしでしょうか?

休みはありがたいが、どっかの国と違って、埋蔵金はおろか、どう財布をひねっても補正予算も出ないのであまり出かけることもなかった。近所でもその気になれば十分楽しめるし。

この連休を使って、資格取得の勉強をする人も多いらしいが、まあ拙者もそれに近いものがあるか。

最近思うのだが、資格を取ればリストラを勝ち残れるというのは全くの幻想だと思う。例えば資格試験の最高峰の一つである司法試験を受かって弁護士になったとしよう。初任給(年俸)は500万円ほどである。

司法試験受験のためのロースクール(私立)の授業料200万円(毎年)、その後の司法修習(その間、仕事も出来ない)を経てやっとなっても、これでは全く割が合わないというものだ。

どうしてもなりたければなればいいが、機会損失というものを考えてみて欲しい。その昔、どうみても才能がない拙者がそういうのを目指すのをやめた理由はそこにある。時間をかけて努力賞でようやくなっても意味がない気がしたのだ。あれから約20年。大いなるアマチュアを目指して新たな一歩を踏み出した拙者である。

拙者の知っている敏腕弁護士は例外なく大学在学中か現役で司法試験に合格するかしている。センスが重要なのだ。早くデビューすれば実務経験のリードタイムというアドバンテージがある。そもそも地頭&センスが違うから、その後の法改正のキャッチアップや一生続けなければならない勉強を継続できる力があるのだ。

他のものにもいえるが、資格を取ったはいいが、それはそれでしかない。当該分野の実務経験を積んでようやく一人前なのだ。いきなり開業なんて、やっぱりありえない。それに、拙者は改めて法律を学んで気づいたことだが、資格試験で要求されている知識はほんの一部でしかないので、実務ではあまり役に立たないと思う。それに、しばらく使わないで放って置いたら全部忘れているだろう。それほどまでに法律は奥が深いし、難しい。

要するにオジサンが一念発起して資格を取ったところで、それでメシを食うなんてことは非常に難しいということ。反論として別に資格を元に開業するんでなく、有資格者として”社内エリート”を目指すのだという答えが返ってくるかもしれない。皮肉を言うようで恐縮だが、資格があるからといって勤めている会社がそれを評価したり認めたりするかというと、そうでもないと思う。

拙者の周りにも、米国の超名門ロースクールに留学して弁護士資格を持っている人はけっこういるが、その額面通り勝ち組かというと必ずしもそうでもない。拙者的にはそういうアカデミックな香りのする人たちは個人的には好きなのだが、社内ではというと、結構そういう人とは対極のパッパラパーのオヤジが威張っていたりするものだ。組織とはそんなものである。

それに出世しているオジサンは、そもそも平日夜も接待宴席、休みも接待ゴルフとかで忙しく、まず勉強していることは稀である。

資格を取ったら、突然人事考課が上がるようにも思えないし、いきなり抜擢人事が起こるようにも思えない。最近思うのだが、会社での出世とかって”出来レース”なのではという気がしてならない。

あ、オレってコースから外れてるかもと思ったら、無駄な抵抗はさっさとやめて、テキトーに生きることをお勧めしたい。”学問ノススメ”ならぬ”テキトーのススメ”である。

どうせ一念発起するなら、若いうちにやっておくべきだったのだ。今ごろ一念発起したあなた、若い頃何をやっていましたか?ジジイになっても学ぶことには大いに敬意を表したいが、人の事いえないがそれは所詮ボケ防止の”脳トレ”でしかない。サラリーマンはサラリーマンらしく、組織での栄達を目指すべきで、それが無理でも切れられない”社内政治力”を身に付けた方がいいし、手っ取り早い。

とかいっているくせに、それをほとんど実践していないのがこれまた拙者で、それさえもかなぐり捨てて、趣味の世界に入っている。リストラされないためにとか、仕事で役に立てようというより、純粋に自分のための学びなのだ。

やってみると、結構大変なのだが、妙なプレッシャーもなく、とにかく楽しめる。学部生の勉強って、こんなに大変だったかなと思うほどである。拙者のやっていることは、資格試験の勉強と違って、無駄も多く、実に遠回りだが、本質を突き詰める作業をやっているので、その代わり少しでも付け焼刃にならないよう、心掛けている。

GWもあまりやることもないので、1つか2つのテーマに絞り、それに集中している。それでも自分で自分に課したノルマ達成はおぼつかないほどだ。でも、今日明日で出来るところまで追い込むつもりである。

何だか、(資格試験勉強のオジサンを)けなしてしまったが、学ぶことは素晴らしい。もちろん、やらない人よりは大いに尊敬すべきである。

拙者は、若い頃からあれもやりたい、これもやりたいという思いが強く、結構普通の人よりそんな贅沢なわがままを幸運にも実践できていたが、それでもやり足りないことがあって、あれもやっておけばよかったなどと後悔することがある。

人生、複々線だったらいいのだが、(どっかの大河ドラマのセリフではないが)所詮は一本道。理想と現実の折り合いをつけながら、いかに”いい”生き方をするか、これは実に難しいテーマである。

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